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Netflixオリジナル作品「クイーンズ・ギャンビット」感想 才能と努力と環境と・・・【ネタバレあり】

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孤児である少女エリザベス・ハーモンが、チェスにおいて天賦の才を目覚めさせ、世界トッププレイヤーであるソビエトのヴァシリー・ボルゴフを打ち負かすまでのストーリー。

 

めっちゃ面白くて、7話一気に観てしまった。

 

まずどんな分野においても、高みに昇りつめるためには、タイトルに記載したような3つの要素が必要だと思う。

 

まずは「才能」。これはどうしようもなく先天的なものがある。全く同じ経験値を積んでも、凡才が人並みに成長をする間に、天賦の才を持つ者は持たざる者よりも早く成長する。エリザベスは間違いなく天賦の才を持つチェスプレイヤーだった。しかしやはりどの世界でも、才能だけで戦っていけるようなぬるさはない。事実、米国チェス王者であるベニーに、過去の対局において自分の負け筋を指摘され、自分のプレイが完ぺきではないことを思い知らされる。特にこのあたりからエリザベスはチェスにより没頭していくような雰囲気がある。

 

「努力」。才能では足りない部分は努力でカバーする必要がある。これも、エリザベスがひしめく強豪たちに打ち勝つためには、本を読み、棋譜を研究し、定石を把握し、あらゆるパターンの打ち筋を知る必要があった。これも如実に描かれていた。

 

「環境」。上記2つの才能と努力もそうだが、エリザベスは特に環境に恵まれていたように思える。

 

孤児院で黒板消しをはたきにいった地下室で、たまたま用務員のシャイベルさんがチェスを打っているところを見た。それを見て興味を持ったのがきっかけでチェスをはじめた。地下室に通い詰めて、シャイベルさんに打ち方、定石、マナーなどを教えてもらった。恐らくシャイベルさんとの出会いがなければ彼女の天賦の才は日の目を見ることはなかったに違いない。シャイベルさん自身が優秀な打ち手であったゆえに、彼女の非凡さに気づき、チェスクラブのある高校へ招待してくれるよう打診してくれたのも大きい。

 

他にも・・・

 

・過去に戦った強豪たち(トーナメントで初めて打ち負かしたタウンズ、州チャンピオンのベルティックや、逆に初めて自分を打ち負かしたベニーなど)が、打倒ボルゴフのため棋譜の研究や練習対局をしてくれる。

 

・ボルゴフとは計3回戦うことになる。1回目はメキシコシティ、2回目はパリ、3回目はモスクワ。1回目と2回目に敗戦するのだが、特に2回目の敗北がエリザベスの心を折る。自棄になり酒浸りになるが、孤児院時代の友人ジョリーンが家を訪ねてきて、エリザベスの目を覚まさせてくれる。

 

どうしようもない挫折から立ち直ったり、堕落から抜け出すことはいつだって難しい。もしかしたらエリザベスもその泥沼にはまり込み、抜け出せることはなかったかもしれない。しかし周囲の人間たちがそうはさせなかった。彼女自身ではなく、外的要因により彼女が成長するきっかけとなったと言える。持つべきものは友だと。

 

 

敢えてタイトルには書かなかったが、ある分野で羽ばたくためにはもうひとつ重要な要素があると思う。

 

「熱意」ではないかと思う。「どれだけその対象を愛しているか」と言い換えてもいい。少し触れたが、最初の公式戦でエリザベスに打ち負かされた州チャンピオンのベルティックは、ボルゴフの敗戦により落ち込んでいたエリザベスを訪ね、励まし、また対局相手となり再戦に向けた研究を行う。しかし、エリザベスのチェスに対するその才能と入れ込み具合を目の当たりにしたことで、自分のチェスに対する愛情がそれほどのものでもないということに気づかされてしまうシーンがある。州チャンピオンとまでなっているのだから、ベルティックもまた非凡な打ち手であったことだろう。しかし、圧倒的な才を眼前にして、燃えていた蠟燭の灯が消えてしまったのだろう。これはそれほど稀なことではないように思える。例を挙げると、個人的な話にはなるが、自分も趣味でギターを弾いており、ある程度の実力はあるように思うが、それでもこれまで天才としか言えないようなギタリストと会ったことがあり、その人を前にすると、「ああ、こんな人がいるんじゃプロの世界なんて無理だな」と落胆する。恐らく蝋燭の灯が激しく燃える人種、つまり強烈な熱意を持つ人であれば、圧倒的な才能を目の当たりにしたらさらに激しく燃え上がる。自分と同じく、ベルティックはそうではなかった。だからチェスで高みを目指すのを諦めてしまった。

 

対照的に、初めてエリザベスを打ち負かした相手であるベニーはチェスへの情熱にありふれていた。チェスに生きていた。常にチェスの話をする。ホテルのウェイターにまでチェスのうんちくを披露する。ことあるごとにチェスを打とうと誘ってくる。エリザベスが一夜の交わりを期待したとき、「セックスはなしだ」と釘を刺す。友人を呼んで酒盛りをするのかと思いきや、その友人たちも実はチェス打ちで多面早打ちをおっぱじめる始末。エリザベスと同じく天賦の才、そして同じだけの熱意を持つがゆえに、彼女の自分と同等かそれ以上の才能に触れても、熱意が消えることがない。好きなものを全力で好きでい続けること、簡単なように見えて、意外に難しいのかもしれない。

 

この映画のチェスプレイヤーはみな、勝てば喜び、負ければ悔しそうにしたり、潔く投了したり、はたまた怒りで握手もせずにその場を立ったり。こういう感情が出るということは、やはりチェスに対して熱意があるからだと思う。仮に義務的にチェスをプレイしてそんな感情が出るだろうか?

 

また、印象的なシーンとして、パリでソビエトの天才少年プレイヤー、ジョージ・ギレフと対局するシーンがある。彼は14歳にしてエリザベスと同レベルの戦いを繰り広げ、2日間にわたる長丁場の対局の末にエリザベスに敗北する。彼は対局後、エリザベスと二言三言かわすのだが、「3年後に世界トップになる」と言う。それに対してエリザベスは「そのあとはどうするの?」と。口ごもるギレフ。

 

これは、世界の頂点に立つ、ということが「目的」か「結果」なのか、ということだと思った。少なくとも今のギレフにとってそれは目的であるため、目的を達成した後にどうするの、と言われても、答えに困ることだろう。対してエリザベスは、自分がチェスをプレイする上で自分がトップになることは結果であるから、こういう質問が出たのだと思う。この質問の答えをエンディングに見ることができる。

 

エリザベスはモスクワの公園を歩く。そこでは老人たちが並べられたチェス盤で自由気ままに対局していた。一目で世界チャンプだと気づいた老人たちは、彼女に一局すすめる。彼女はとてもうれしそうに、老人の前に座り、対局をはじめようとする。

 

この対局には意味がない。意味というのは、彼女のキャリアに何の影響も与えないし、賞金も出ない。しかし彼女はとても満足そうな表情をしている。要するに、「チェスをプレイすること」自体が彼女の本質なのであって、それに伴ういかなる事もそれに先んじることはない、ということではないかと思う。エリザベスにチェスに対する愛情が垣間見れる、いいシーン。

 

【その他、よかったところとか】

ソ連のプレイヤーとアメリカのプレイヤー(エリザベス)の対局が、打倒共産主義プロパガンダとして利用されそうになるシーンがあるのだが、エリザベスはこれを跳ねのける。そんな背景がありつつも、モスクワでソ連のプレイヤーと対決した際は、純粋にお互いに対するリスペクトがあってとても気持ちよかった。元世界チャンピオンのルチェンコは、「これで気持ちよく投了できる」と潔く、それまで常に無表情で何を考えているかわからなかった最強のボロゴフも、エリザベスに負けると「君の勝ちだ」、とキングの駒とともに柔らかい表情で握手を求める。お互いにハグしあい、ボロゴフは惜しみない喝采をエリザベスに贈る。高みを求め合ったもの同士のなんとも尊く、高潔な心が見て取れる。こんな清い対局の場をプロパガンダに用いようとは、いつだって余計な水を差すのはバカで愚かな第三者。純粋な勝負の場にお国柄など関係ない。スカッとする。

 

・ボロゴフとの3戦目、覚醒して天井に棋譜を幻視するエリザベス超カッコいい。薬物とアルコールから脱却し、これまでのプロセスで得たものが開花した瞬間はシビれる。

 

・いつも思うけど、テーマになる物事のルールとかをよく知らなくてもここまで面白く作れるって本当にすごい。ちなみに自分もチェスのルール全然知らない。

 

・ロシアにはいつか行ってみたいと思わせられる綺麗なモスクワの描写。ちょっと怖いけどね。

 

いやー、本当に面白かった。