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思考のたれ流し

映画「キングスマン:ゴールデンサークル」評(※ネタバレ注意)

movies.yahoo.co.jp

 

キングスマン2作目。

やっぱり面白い。

1作目も含めて述べますが、一応「スパイ」という設定はあるけれども、他スパイ映画にありがちなシリアスさはない。

 

「シリアスさがない」というのはもちろん悪い意味ではなくて、
別の成分がかなりの比率で含まれているから、相対的にシリアス成分が少ない。

たとえばトーマス・アルフレッドソン監督の「裏切りのサーカス」(2011)はスパイ映画としてはかなりシリアスな部類で、シリアス成分100%と言ってもいいくらい。

 

それに対してキングスマン2は「エンターテイメント性」に100%全振りしているといってよいです。(1は85%くらい)裏を読む映画ではなく、見たまんまをそのまんま楽しめる映画です。

戦闘シーンで唐突にかかるハードロックチューン、挽肉機で人間ミンチにされる敵(2回も!)、奇天烈すぎる衣装で悪役にジャンピングキックをかますエルトン・ジョン・・・

上述したような素敵過ぎる要素が盛り沢山で、映画全編が可食部。
観た後はそれはもうおなかいっぱいになれます。

 

以下個人的に好きなところ。

 

・スーツがコスチュームであること
 本来スパイというものは敵国に存在を知られてはいけないものです。
 だから状況に応じた服装で潜入行動をする必要があります。
 イーサン・ハントはパーティ会場に潜入するときにタキシードを着るし、
 KGB本部に潜入するときにはKGB職員の姿に変装します。
 しかしキングスマンはそんなの関係ねえとばかりに一貫してスーツを身に纏います。
 特に今作の場合、明確に「戦いになる」とわかっていてもあえてスーツに黒縁眼鏡。
 これはどちらかといえばspy-ish(=スパイっぽい)よりheroish(=ヒーローっぽい)です。ヒーローは得てして、印象に残るコスチュームを着ることで自らのヒーロー像を
 作るものですが、まさにこれです。性質的にはボンドよりスパイディに近い。
 現実的に考えればスーツを着ることに意味はありません。でも映画の中で
 「英国人」の「キングスマン」が着るとめちゃくちゃかっこいい。
 ヒーロー像を描く映画に無粋なことは言ってはいけない。かっこよければ全てよし!
 
・「ステイツマン」の存在
キングスマンがエグジーとマーリンを除いて全滅した後、隠し金庫から「Statesman」というウイスキーを見つけ出した時点で感づいた人は多かったはずです。
United "King"dom だから"Kingsman"。
United "States" だから・・・"Statesman"。
このクサいとまで言えるほどに熱い展開。
アメリカにもステイツマンなる諜報機関が存在していて、協力関係を結びます。
戦隊モノでいうと「ブラック」が来てくれた展開みたいな。熱い。
しかもこれがまたコテコテにアメリカンでいい。
キングスマンが仕立て屋を隠れ蓑としているのに対し、ステイツマンは酒造業を世を忍ぶ仮の姿としています。だからコードネームもみんなお酒の名前。
シャンパン、ウイスキーテキーラ、などなど。
武器もとってもアメリカナイズドされています。
エージェントウイスキーの得物はカウボーイロープです。
使う銃もシングル・アクション・アーミー。う~ん、ウエスタン。
この2つを使って敵をバッタバッタとなぎ倒すシーンはなかなかの見ものです。

 

・まさかのポンコツ
いろいろあって前代ガラハッド(コリン・ファース)が生きていたことが判明します。
で、最初は記憶を失っているのですが、ショック療法で全てを思い出します。
晴れて現場に復帰し、酒場で喧嘩を売ってくる輩に、語り始めます。
「Manners maketh man」、と。
あのくだりを再び見られるのか!と思ったら、攻撃を外し普通に殴られる
ガラハッドの姿が!そう、しばしのブランクでまさかのポンコツ化(身体能力だけ)。
まあ~これがなんともいえないかわいさで。1の頃の無敵ぶりと打って変わって、
コリン・ファースの違った魅力を味わえます。


「Manners maketh man」は紳士としての美徳ですが、
大事なことを教えてくれています。
即ちは「氏より育ち」。
1作目でハリーが、エグジーに「生まれた環境が悪くても、学ぶ姿勢さえあれば変われる」と
説いていますが、エグジーはこれをまさに実行しました。今では立派なキングスマンで、
大切な恋人がいて、友人を尊ぶことができる真人間になりました。
逆に育ちのよかったチャーリーは今作で見事に犯罪者となっており、対比が際立ちます。
メッセージ性の強い言葉で、ハリーが言うと印象に残る言葉だと思います。

 

最後ですが、やっぱりハリーとエグジーの関係性は実にすばらしい。
幼い頃に父親を亡くしたエグジーにとっては、ハリーは父親のように映ったことでしょうし、天涯孤独だったハリーにとっては、エグジーはまるで息子のような(息子がどのようなものかわからないにしても)存在であったことでしょう。
そうしたバックグラウンドを考えて映画を観てみると、なんとなく二人の間にある強い絆を感じることができるように思います。

 

好きなことをひたすら書いていたら長くなってしまった。